鬼滅の刃

【鬼滅の刃】何故隊士達は東京出身ばかりで東京の話なのか?

今回は、鬼殺隊や柱が何故東京出身ばかりで、東京が舞台となったのか?何か理由があるのか考察していこう。

はじめにまずは、鬼殺隊の出身地を見て行こう。

主要人物の出身地について

竈門兄妹
東京府奥多摩郡の雲取山。
今は西多摩郡の雲取山で、雲取山はそのまま地名として残っている。

嘴平伊之助
東京府奥多摩郡の大岳山。

伊之助は、猪に育てられた過去がある。
今も奥多摩の大岳山という地名で残っている。 

我妻善逸
東京府の牛込區。

今で言う新宿の牛込で、都会育ち。

栗花落カナヲ
出身地は東京府本所區で、今で言う墨田区の向島。

炎柱・煉獄杏寿郎
東京府荏原郡の駒沢村で、今で言う世田谷区の新桜町

不死川兄弟
出身地は東京府京橋區。

今で言う中央区京橋なのでかなりシティーボーイ。

水柱・冨岡義勇
東京府豊多摩郡の野方村で、今で言う中野区の野方。

蟲柱・胡蝶しのぶ
東京府北豊島郡の滝野川村で、今で言う北区の滝野川。

恋柱・甘露寺蜜璃
東京府麻布區の飯倉で、今で言う港区の麻布台。

甘露寺は港区女子。

霞柱・時透無一郎
景信山で、今は東京都八王子市と
神奈川県相模原市の境界になっている。

蛇柱・伊黒小芭内
東京府の八丈島の八丈富士で、
八丈島は伊豆諸島の島。

岩柱・悲鳴嶼行冥
東京府靑梅の日の出山で、
今は青梅の日の出山という地名になっている。

悲鳴嶼も鬼滅のキャラに多い山育ち。

音柱・宇髄天元
唯一出身地不明なのが、天元である。歴史的に見れば大正時代だと三重県の伊賀や

滋賀県の甲賀が忍として名前が残っているため、
三重や滋賀出身の唯一の地方出身な可能性もある。
東京なら出身地が明らかにされても良さそうなのだが、
何故なのか?



それは置いといて・・・このように、主要キャラはほぼ東京出身。これは、無惨と産屋敷家が東京に来た理由を考察しなければならないだろう。その前にまず、無惨の目的はと言うと・・・

鬼無辻 無惨の目的は1つ

 


①青い彼岸花を探し出す
日の光を克服する鍵の青い彼岸花を、長きにわたり探し回っていた。
これは、全国におよぶだろう。

②鬼殺隊を抹殺

自分の邪魔となる鬼殺隊を滅ぼすことも目的としていた。
現に、自分を脅威に陥れた縁壱の日の呼吸を扱う者を抹殺していた。
とはいえ、自分自身ではなく、自ら生み出した鬼達

③日の光を克服する鬼
手当り次第人間を鬼にし、日の光を克服出来る者を探していた。

これらを目的としていた理由は、
『強くなり生きたいから』
そのために、このような目的で、ただの駒として鬼を増やした。
そして、無惨はその時が来るまで、身を隠していた小物。


では、何故東京が多いのか?

おそらく、人の多い所なら身を隠しやすかったためではないか?そうすれば、人間を喰うのに困らない。そして何より、列車。列車が通ったことで、東京に来る人間も多い。わざわざ各地に飛び回らずとも各地の人間が来れば、青い彼岸花の情報や目的達成出来るとふんでいたのではないか?とは言っても、列車が通ったのは明治時代。もう少し前から居たと思われる。無惨のモデルにヒントがあるのではないか?

無惨のモデルとなった物語

大悪鬼・酒吞童子

平安時代の鬼伝説で有名なのが、日本三大妖怪に数えられる、稀代の大悪鬼。丹羽の国と山城国の境にある大江山に住み、配下には副首領の茨木童子、そして熊童子・虎熊童子・星熊童子・金童子の四人を従えている。

その配下の鬼と共に夜の平安京を荒らしまわり、京の都の姫君達を誘拐し、仕えさせたりその血肉を喰ったという。乱暴で、嘘や謀を嫌い、名称通り酒が大好物というまさに鬼であった。

天皇の命を受けた源頼光と藤原保昌は、頼光四天王 とともに、神仏の協力を得て山伏に身をやつして酒呑童子の住処へ潜入。鬼たちの仲間であると説得し、鬼の力を封じるという神。
酒を呑ませ、身の上話を語りながら気をゆるし酒呑童子の寝首を掻いて討伐した。 

だまし討ちにあったことを知った酒呑童子は、首を落とされながらも頭だけで頼光に襲い掛かり、『鬼に横道なし(意訳:鬼ですらここまで卑劣な輩はいない。恥を知れ)』と、激しく罵ったという。現在、酒呑童子の首は京都で有名な首塚大明神の塚に葬られている。まるで、酒呑童子は無惨の様だ。

秘密厳守・無惨の言うことは絶対なところや配下は上弦の鬼で、源頼光達は鬼殺隊と柱の様だ。そして、珠世としのぶにより作られた薬を打たれた無惨は、酒呑童子の倒され方に似ている。

無念を残した平将門

もうひとつ平安時代の伝説として残るものが、天慶の乱で知られる平将門。藤原秀郷らに討伐され死んで、京都でさらし首にされ、無念を残した将門は、3日後の夜に首が白光を発して故郷へと飛んで行き落ちたところが、今の東京の大手町にある『平将門の首塚』。周辺で不用意に開発を進めると祟りがあるとされていている話もある。

また 平将門 には7人の影武者がいたとされており、影武者は影が薄いという見分け方があり、それを桔梗とう女性がそれを 藤原秀郷 に告げ、討伐を助けたという伝説がある。この話、平将門=無惨・影武者=十二鬼月で、藤原秀郷=縁壱もしくは炭治郎・桔梗=珠世に当てはまる。無惨は平安時代に生まれ、鬼となっても京都に居たと思われる。何故なら、自分を鬼とさせ日の光克服のための謎を解き、青い彼岸花にたどり着いた。

おそらく、近くにあるのではないかと思ったのではないか。しかし、縁壱が現れ斬られたが、己の身体を千八百の肉片へと分裂させて逃げた。正に平将門の首の様だ。 無惨は、遠くへと逃げ、尚且人の多い所へ向かって逃げたのではないか。それが、現在の東京。そして、江戸時代に十二鬼月を結成。そのまま東京に隠れながら目的のため鬼を増やしていったのではないか。

何故、鬼も鬼殺隊も東京のみなのか?

 

1000年も無惨は青い彼岸花を探し、鬼を増やしていることから、鬼は全国に居るだろう。鬼殺隊も数百名居るとされているため、本部である産屋敷とその幹部である柱は東京で、育手や鬼殺隊は各地に居るのではないか。ここの曖昧さは、東京出身者のみは明らかにされ、他は不明というのが、本来は各地に居るということなのではないか。

柱はたまたま東京出身者だが、天元を不明にしているのは、各地に居るということではないか。天元は、家を出た身なため中には例外の鬼殺隊も居るだろうが、基本鬼殺隊はその地の出身者でかためて居るのではないか。そう考えれば、炭治郎の同期が東京出身ばかりに納得が行く。つまり、無惨は身を隠し逃げたいため、無惨の後を追うように産屋敷も動いたのではないか。

何故なら、産屋敷は『先見の明』という、とりわけ直感が鋭かったため、無惨がこの先どのような行動をするか見越していたのではないか。もしそうなら、東京で無惨を倒すと産屋敷は決めており、柱を東京に置きいずれ産屋敷を狙って来ることも想定していた。そして、無惨が竈門家を襲撃したこと、そして炭治郎と無惨との遭遇により、お館様はこれが無惨を倒す最後のチャンスと思った。

だから最終地点が、東京だったため鬼滅の刃は東京での話だった。もっと長編だったら各地に逃げ回り話も違っていたかもしれない。現に色々な考察では、無惨を鬼にした医師は中国から来たため、青い彼岸花は中国にあり、世界へ行くなんて考察もあった。もし、ワニ先生の諸事情がなく、もっと続けば東京だけでなく、もっと範囲が広がっていたかもしれない。
 

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